楽観的なのが救い<大動脈解離回顧録③>

休日は病気に回顧録をお届けします。
今回で第三弾になります。
前回までのブログはコチラへどうぞ。

楽観的だから生還できた?

「緊急手術前にスマホで写真を撮る?」
あとで妻に聞きましたが、周囲はドン引きしてたみたいです。
妻も「呆れて物も言えない」って言ってたっけ。

全くと言っていいほど危機感はなかったんです。
そのくらい楽観的に捉えていました。
だって手術をすれば助かる、ラクになるんでしょ。としか思ってなかったのですから。

ちなみにこの時に撮った写真はまだ手元にあります。
だけどもう使いません。見たい方は以前のブログを探してみてね。

ボクが手術室に入る前のことを少し振り返ると。
自分でもあまり覚えていないんですけどね。

「かっちゃんとツヨシには連絡しておいて」
「あと患者さんにも連絡しなくちゃ。張り紙しなくちゃ」

意識が朦朧とする中でそんなことを言っていたらしいです。
かっちゃんとはご存知、サッカー馬鹿の勝村さんです。
ツヨシとは最近SNSではご無沙汰、エクスマ仲間の木下さんです。

かっちゃんにはフロリダ族でお世話になり、ツヨシにはイメトレ塾でお世話になっていました。
その時に伝えたかったのはこの二人だったんだろうな〜。

正直あんまり覚えていないんです。
よくこの二人の名前が出てきたなと我ながらアッパレです。笑

▲そのくらいフロリダ族には、かっちゃんにはお世話になりっぱなし。いつもありがとう。

意識がなくなる。記憶がない。

そこからの記憶は当然ありません。
あとから聞いた話ですが朝6時に手術が始まり、終わったのが午後4時前だったそうです。

つまり約9時間半の大手術でした。
手術直後のボクの顔面は2倍くらいに腫れ上がっていたらしい。

さすがにその写真は残していないんですけどね。
でもちょっと怖いもの見たさで見てみたい気持ちもするけど。

結果的に約二日後に目が覚め、その時の状況を知らされました。
自分ではどのくらい経過していたのかは全く分かりません。
意識がないというか、完全に深い眠りに落ちているような状況です。

やっと意識を取り戻した直後は、口には気管挿管してあり太い管が入っていました。
そして動くことが全くできません。

手も足も身動きができないように縛られていました。
これは意識が朦朧としていると、苦しさから勝手に管を抜こうとすることがあるからです。

口だけではなく、MAXで計17本の管がボクの身体には刺さっていました。
手、足、首、お腹、首、そして口・・・。
ありとあらゆる場所に刺さっていましたからね。

目覚めて初めて妻の顔を見た時は、勝手に涙が流れてきました。
ボロボロと勝手に溢れるようにこぼれ落ちてくるんです。
安心したのと、呼吸が満足にできない、ツバも飲み込めない、明らかに手術前より苦しいんですもの。
気管挿管があんなに苦しいものだとは知りませんでした。

「ゴメンね」って妻にひと言でも伝えたいのに声も出せない。
情けないやら、迷惑をかけちゃったな、心配かけちゃったな。
そんな想いもひと言も伝えられない。
だから勝手に涙が出てきちゃうんですよね。

そこからもまだ意識は途切れ途切れです。
目が覚めたりはするのですが、全く動けないですしね。

そこから丸一日が経過したあたりだったかな。
口の管を抜いてもらいました。これが痛いのなんの。
ノドが切れていたんです。その後タマネギのスライスみたいなのが口から出てきたっけ。

そして担当医のT先生に病状と手術の内容を聞かされました。
病気の正体は「大動脈解離」でした。
そして「大動脈弁閉鎖不全症」なんてオマケもついてきた。

 

何???その病名は???

 

不勉強なボクはその時はよく理解できませんでした。

 

つづく。

 

やまだ整骨院 院長 山田敬一

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山田 敬一
株式会社サイモン・やまだ整骨院代表 柔道整復師 
サイモン式テーピングマスター代表
メンタル心理カウンセラー 
G-nius5メディスン認定イメージトレーナー 
藤村正宏氏主宰・エクスマ塾45期卒/エヴァ10期卒/ウルエヴァ1期卒

2008年東京都文京区本駒込に「やまだ整骨院」を開院。
プロ格闘技選手のトレーナーを15年務める。
現在は青山学院大学女子バレーボール部、大相撲佐田の海関、パリ五輪代表女子柔道57kg級舟久保遥香選手のコンディショニングサポート中。
治療現場では「治療を通じてアナタの心と身体を応援します」をモットーに活動中。

テーピングの開発・販売・講習もしています。
(講習に関しては随時ブログにてお知らせしています)

スポーツ歴は中高生時バスケ、専門学校時に柔道、社会人になり格闘技(キックボクシング)をしていました。
修行期間13年を経て34歳で独立開業、35歳でアキレス腱断裂、41歳で大動脈解離を患い生死の境を彷徨いました。
もうスポーツは積極的にはできませんが、身体とメンタルの両面をサポートし、アスリートを目標達成へと導きます。

2020年4月よりオリジナルプロテインを販売開始。
学生競技の現場を体験して「継続して飲むなら美味しくて、身体にいいプロテインを飲んでほしい」その想いからオリジナルプロテインを作りました。

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